先ずは「路線機器編」として、運賃表示機の話題からです。
■1枚目
山口市営の運賃表示は、ワンマン黎明期に三角表→運賃幕→デジタル運賃表示機の
順に機器が更新されており、車によっては複数種を搭載した経歴を持つものも
ありました。
左の写真は、そのうちの「運賃幕」で、森尾電機製の20〜30区タイプが、昭和47年
から昭和51年にかけ、ワンマン対応車の一部へ段階的に導入されています。
ただし、ワンマン対応車は何れも車齢として末期を迎えているものが多かったため
僅か数年運用されただけで、多くが新車に転用されていったようです。
廃車体になっても撤去されておらず、幕や駆動モーター等の機関だけが抜かれて
います。
一方、平成20年に山口市内で発見されたう1060号と思われる廃車体には、
この運賃幕が完全な形で残されていましたので、参考としてこちらに写真を掲載
しておきます。
なお、運賃幕が登場する以前は、運賃の表示には専ら「三角表」が用いられており、
乗客が自分で確認するか、車掌に尋ねる(或いはアナウンスを聞く)必要があった
といわれています。
■2枚目
運賃幕は運用の柔軟性に欠け、整備も煩雑であったため、料金体系の複雑化に
対応すべく、平成2年から導入されたのがデジタル表示機です。
交通電業社製の32区タイプ(KS-L320)が採用されていました。
操作は、原則として車内放送スイッチと連動しており、内部のロムカードの情報を
順次表示していくものとなっていますが、後の仕様では、前扉と連動(前扉が
閉まると同時にスイッチ「入」)する車(う1638号型以降)もありました。
平成7年以降は、全車が音声合成装置(下記)、及び方向幕と連動する形に改造
されています。
2002/12/16 2019/5/1
ここでは、旧市営車に装備されていた機器類と、仕様の一部について掲載しています。
仕様には各バス会社の考え方が反映されますので、非常に興味深いところです。
当時の現役ワンマン車に装備されていたものと、私がコレクションしている廃車発生品を紹介したページの二部構成としています。
■更新履歴:2017/1/25 情報追加、表記修正等
続いては、運賃箱です。
車掌時代まで、運賃箱とは文字通り「運賃を入れる箱」で、
非常に原始的な構造のものだったようですが、昭和49年から
は自動化された運賃箱が搭載され始めました。
それが左写真のもので、小田原機器製の「RX-U」型です。
上記の運賃幕と同様、その採用はワンマン対応車末期の頃
でしたので、大部分は発生品として、後の新車に転用
されたものと思われます。
写真は673号車のものですが、これも転用されたものの
一つなのでしょう。
右写真は、このRX-U型の後継機として、昭和62年頃から
採用された、紙幣対応・循環式両替機能付きの「RX-BLH」
型運賃箱です。
作動電源は、上記運賃表示機から供給を受けます。
平成29年にレシップ製
交換されるまでは、
ICカードリーダーが
上部に装着され、外観に
大きな変化が生じていま
した(写真)。
■2枚目:路線車
の座席です。
メーカーは概ね天龍工業(モケットは市岡製作所)でしたが、一部の呉羽車体を持つ車では、呉羽シートも採用
されていたといいます(中型車は殆ど天龍製)。
背面と側面のグリップは、当初は灰色でしたが、昭和52年導入車では黒色に変わりました。
何れも白いビニール状のシートカバーを備え、当時らしい落ち着いた車内空間を演出しています。
左の写真は旧う1638号の座席で、車内は「山口市営仕様」のままでした。
ダイアル式操作盤。
左が10の位、右が1の位
用で、100区間まで対応。
整理券発行装置は、ワンマン対応車の登場当初から採用されており、
小田原機器製の「SAN-V AW」型が使われていたようですが、詳細は
分かっていません。
写真のうち左のものは、昭和50年頃に採用されたと思われる小田原製
の「SUN-VAW」型で、薄いピンク色のインクで数字を打っていました。
しかし車両によって個体差があり、青色インクで小文字(判読不能)を
数字の上下に打ってあるものもありました。
数字の切り替えは、インパネ横の操作盤ダイアルを運転手が手動で
区間毎に操作しており、安全運転に集中しなければならない労働環境に
おいては、実に大変な作業だったと思われます。
この操作盤は、盤面が左写真の赤地のものや、黄色地のものもありました。
昭和57年以降の車は、右写真の「SUN-V」型が搭載され、放送装置と連動化
されたため、運転中の煩わしい作業は大幅に解消されています。
さらに平成7年以降は、音声合成装置とも連動するよう改造されたほか、
カードリーダーが隣に設置されるようになりました(右写真)。
メーカーは天龍社で、リクライニング可能、シートベルト、カップホルダー、灰皿(ステンレス仕様)、補助席付き。
シートカバーは簡素な公営としてはあまり似つかわしくない(?)星柄です。
貸切車の場合は導入時期の違いもあり、車種によって仕様が異なっていたようで、現在確認できるものとしては、
う1547号車系では、この座席の配色に加え、各席の中央縦方向に赤い帯が入ったようです。
■5枚目:新・貸切車
本車を含む4台の貸切車は、上記う1930号型の簡素な仕様への反動から、極めて豪華な内装を持っており、
座席にもその性格が表れています。
表皮は赤いベロアモケットとされ、ヘッドレストは一体式ながら、独立形状です。
補助席は全て格納箱に収まり、この箱を備える通路側の席のリクライニングレバーは、乗用車のドアハンドル
(内側)のような形状になっています。
灰皿は黒い樹脂製で、ドリンクホルダー、荷物フック、フットレストも装備されましたが、後部座席のサロン化
までは未だ出来ませんでした。
この座席を装備した車が全て姿を消したため、今では見ることが出来ません。
本型車の2台のみは、その特殊用途のためか、リクライニングシートが採用されました。
ただ、廉価仕様としたためか、灰皿は装備されましたがリクライニングは二段階のみで、シートベルトや
カップホルダーは省略されています。
メーカーは天龍製であり、モケットは、他車と同様に市岡製ですが、他車にはない、縦縞模様の赤色(品名は
「オレンジ色」)を採用しています。
写真の座席(左列の2番)は、本来は側面にパイプ状の手すりを装備するものですが、養護学校のスクールバスに
改装された際、撤去されているようです。
また、シートカバーも新製時はレースの本格的で上質なものでしたが、車体更新工事の際に、ビニール製の安価な
カバーに交換されたようです。
本型車も全て処分されたため、この仕様も今では見ることが出来ません。
■3枚目:路線車
色を変更した理由は、とにかく最安値の仕様で発注するのが命題だったというこの当時、この年からは緑色よりも
青色の方が安価だった、ということが真相のようです。
ただし、青色自体はう202号系車の座席での前例があるようなので、およそ23年ぶりの復活となります。
座席自体は上記と同様に天龍製であり、基本構造に大きな変化はみられません。
現在は、何れも登場から20年以上が経過したため、クッションに反発力が無くなるなど、著しく劣化してきています。
また、現存する車両の殆どはこの座席の車であるため、旧山口市営路線車の特色であった、緑色(又は臙脂色)
の車内の印象も、かなり薄れてきてしまいました。
ここからは「車両仕様編」で、先ずは座席の変遷です。
■1枚目:路線車
レザーシートです。
これまでは主にモケット素材を採用してきたと思われる山口市営ですが、素材の安さ、清掃作業の合理化、
或いはデザインによるものなのかは判然としないものの、ワンマン車両を強く印象付ける装備であったことには
違いないと思われます。
また、後の時代のような白色のシートカバーも無かったようですので、車内外ともに「真っ赤」な車両群であったと
推定します。
座席は天龍製、ビニールは長井製作所製のようです。
左の写真は、廃車後も長期に亘って存在していたい1001号車のもので、本来の向きとは逆向きに装着されて
いました。
窓下の框部も、同じ配色のビニール素材で統一されています。
旧山口市営の方向幕は多くの変遷を辿っているようですので、順番に
その変化をみていきましょう。
写真1段目
昭和30年代にみられた、手動式(手書き)の方向幕です。
幕の素材は「布」で、長さは4mから6mあったとされています。
メーカーは特に固定されていなかったようですが、「羽深式」
(羽深製作所)、「長山式」(長山機器産業)、「トヨラ式」(東洋
ライト工業)のものが多く、正面と側面ではメーカー違いを混載する
などの仕様もみられました。
写真2段目
昭和40年代のワンマン対応車の様子です。
昭和33年頃からは系統幕が新採用され、幅広い運用に備えています。
操作は以前と同様に回転ハンドルによる手動式で、羽深製が最も
多かったようです(右写真はそのハンドル)。
幕の素材としては、昭和45年にフィルム式も出現しています。
写真3段目
メーカーは三陽電機製作所(ブランド名「エスライト」。現
「レシップ」社)で、「同期進段式」の制御となっています。
一度ボタンを押すと1コマ分進み、ボタンを押し回すとボタンが保持
され、連続進段が可能となります。
ただし、目的のコマまで進んだかどうかは、目視で確認し続け
なければ逸走してしまうという欠点もありました。
写真はう863号車で、幕には当時の先進的な系統番号を採用した
ものでしたが定着せず、短期間で記載は廃止となってしまいました。
写真4段目
昭和50年代末期には、同じく三陽製ながら、最新の「パルスコード
式」が採用され、機械が幕のコマ位置を認識するため、煩わしいコマ
確認の作業がなくなりました。
系統幕については、引き続き手動の羽深製を採用しているようです。
であるバーコードが見えています。
写真5段目
及び初めて後部方向幕が採用されるようになりました。
メーカーも新たに交通電業社(ブランド名「パラサイン」)が選択
され、操作盤も大型化しています。
交通電業社製の採用は、同業他社から「良い」と噂されたための
ようですが、制御方式は再び「同期進段式」に戻り、技術的には
退化しているように感じます。
もっとも、幕の価格やコマ継ぎ足しの際など、運用面ではメリットがあったのでしょう。
方向幕はその後、ネプチューン社製の「音声合成装置」が導入されて暫くした頃、三陽製、交通電業社製ともにこの装置に対応する改造工事
が行われ、指令系統がその隷下に入ったため、方向幕の操作盤は不要となり、一部の車では操作盤自体が撤去されてしまいました。
撤去されなかった車でも、操作盤は車体から繋がる配線が切断されたため再使用は出来ず、メーターパネル横の一等地を、遊休品と化した
操作盤が占拠するという不都合が起こりつつ、最後までそのままでした。
ちなみに防長社の古い車両では、音声合成装置と方向幕は連動させていなかったようですので、この点は旧市営車との大きな差異になって
いるようです。
平成25年からは、山口市の交通改革の一環として、新たに3ケタ数字の系統番号が各路線に付与されたため、その番号を幕に記載するようになりました。
山口市営において、8トラックテープによる自動車内放送装置が登場するのは、ワンマン対応車
が採用された昭和41年からで、最初期にはネプチューン製の機器が採用されていたようですが、
しかし何れも写真の記録などは無く、型式や仕様などの詳細は分かっていません。
その後、昭和51年の導入分からはクラリオン製が採用されるようになり、「CA-030A」、同
「031」型などが搭載されたようですが、車種によっては左の写真のような連装式
(「CA-001型系」)も採用されていたようです(写真は旧う1638号車)。
以降、クラリオン製品の採用は、平成7年まで続きます。
そしてその平成7年には、「音声合成装置」が山口市営で初めて
出現しました。
これは文字通り、車内放送の音声案内を機械的に合成して
データを作成する、画期的な装置でした。
しかし本機の決定的な価値は、単に放送装置の枠に留まらず、
これまで上記で紹介してきた運賃表示機、運賃箱、整理券装置、
カードリーダー、方向幕といった全ての路線機器を統合制御する
機能を持っていたことで、路線運行の労働環境を、従来に比べて
劇的に改善していることです。
即ち、下段右写真の設定装置に、運行前に所定のコードを入力
すれば、運行開始後は機械が運賃、整理券、方向幕等の設定と
操作を自動で行うため、運転者の仕事量が大幅に減少している
のです。
私のようなモノコック車で育ったアナログ世代の素人で、かつ、一度趣味から離れてしまった後に戻ってきた身からすると、俄かには
信じられない程の技術革新が実現していたことになりますので、こうした仕組みの概要を理解するまでには、かなりの時間を要しました。
なお、このとき山口市営が採用したのは、ネプチューン製の「TLS-2K」型で、データの読み込みにはカードと共に端末(「注入機」)が
必要である一方、読み込ませたデータは、バッテリー放電などで電源が失われれば本体から消えてしまうので、音声合成装置としては初期
の仕様となっています。
本体装置の写真はう2894号車のもので、クラリオン製の8トラックデッキを撤去した跡に、また、設定装置の写真はう2892号車のもので、交通電業社製の方向幕操作盤を撤去した跡に設置されているものです。