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山2い1501号型
 
■導入:昭和51年(1976年)、中古(昭和45年式、元・防石鉄道バス)
■型式:日野RC320P
■車体:金産
■形状:リヤエンジン、前折扉
■冷房:ダイキン(サブエンジン)
■用途:貸切
■構成:1501(S51.2〜S59.12)
    1502(S51.2〜S60.8)
    (計2台)
 
 貸切車にはさらなる追加投入が行われましたが、予算制約があったなかで、再び
中古車が選択されています。
 なかでも本型は地理的にも近い「防石鉄道バス」からの中古車で、登録番号も
そのまま継承してしまったため、山口県内を運行中は非常に恥ずかしかったと
いわれます。
 
 また、ダイキン製の冷房サブエンジンは作動音が大きく、遠方からでも本型の
接近が察知できるほどだったようです。
 とはいえ当時としては貴重な冷房搭載の貸切車として、運行側の期待に応えた
ことでしょう。
 
 外観は前述のう648号とは異なり、フロントに傾斜窓が採用された金産の
貸切型です。
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山22う813号
 
■導入:昭和51年(1976年)、中古(昭和44年式、元・浜松観光自動車)
■型式:三菱B905N
■車体:三菱
■形状:リヤエンジン、前折扉
■冷房:三菱(サブエンジン)
■用途:貸切
■構成:813(S51.5〜S61.10)
    (計1台)
 
 新幹線博多開業の特需に対応した一連の貸切車のうち、最後に導入されたのが、
遠く浜松から移籍してきた本車です。
 
 既にう362号型のように「東名マスク」を持つ車が出現したなかで、前期K11型
車体特徴である「ヒゲ」が正面に鎮座する姿は、クラシカルでもあります。
 
 しかし、この当時で圧倒的な高出力(265馬力)を誇るB9型は現場に好まれたのか、
中古車としては異例の実働10年という記録を残しました(車としては通算17年)。
 
 最期は、学校の遠足での貸切走行中に腐食で前扉が脱落し、やむなく廃車になった
といわれています。
 
 後部の3連丸テールは、山口市営では唯一の採用例でした。
山22う863号型
 
■導入:昭和51年(1976年)、新製
■型式:三菱MR410
■車体:呉羽
■形状:リヤエンジン、前折・中折扉
■冷房:なし
■用途:路線
■構成:863(S51.9〜H6.4)写真1  
    864(S51.9〜H6.4)写真1
    865(S51.9〜H3.4)写真1
    (計3台)
 
 昭和51年度は、昭和43年以来の規模である15台の車が導入され、最初の3台
は、呉羽車体(G4型)の短尺形式が選択されました。
 呉羽の大型車体は、実に12年ぶりの採用です。
 
 外観上の特徴は、出口扉(及び運転席窓)直後に設置された細長い固定窓で、
後に導入される同じ呉羽G4のう998号型(下記)との大きな相違点です。
 
 末期の車内は、シフトブーツが汚れたヨレヨレの布地であり、う998号型と
比べても細部の装飾が薄く簡素だったこと、非冷房・木床で陳腐化が否めなかった
ことから、地味な印象がありました。
 また、三菱のMR型は、過去10年以上もエンジン出力(165馬力)が変わっておらず、
この頃には既に内外共に旧式化していたともいえるでしょう。
 
 863と864は廃車処分後に売却され、JR上郷駅付近の線路脇で共に倉庫
として転用されていましたが、遅くとも平成13年頃までには姿を消しました。
 865だけは、なぜか僚車より3年ほど早く処分されています。
■山22う863号(ご提供写真)
山22う866号型
 
■導入:昭和51年(1976年)、新製
■型式:三菱MR410
■車体:西工
■形状:リヤエンジン、前折・中折扉
■冷房:なし
■用途:路線
■構成:866(S51.9〜H4.7)写真1
    867(S51.9〜H6.5)写真1
    868(S51.9〜S60.9)
    869(S51.9〜H6.5)写真1
    870(S51.9〜H6.5) 写真1 
    (計5台)
 
 上記の呉羽3台のあとは、5台が西工車体の短尺車となりました。
 
 863号型と型式こそ同じにも拘らず、外観の形態が大きく異なったことについて、
未だ車体架装の概念を知らなかった当時の私には、全く意味がわかりませんでした。
 
 また、西工41MC型車体自体も、後部屋根の形状から当時は「牛乳パック」と私的に
呼んでいたのも懐かしい思い出です。
 41MC型車は後のう1029号型と併せて、一際存在感がありました。
 
 同型車のうち、868のみは何故か早々に処分されてしまいますが(事故ではない
様子)、他は比較的長命で、特に869は廃車体として現存していたことが特筆
されます。
山22う871号型
 
■導入:昭和51年(1976年)、新製
■型式:いすゞBU10
■車体:川重
■形状:リヤエンジン、前折・中折扉
■冷房:ヂーゼル機器(サブエンジン)
■用途:路線
■構成:871(S51.9〜H4.4) 写真1
    872(S51.9〜H4.7)写真1
    (計2台)
 
 このロットにおける唯一の冷房車は、8年ぶりにいすゞ(車体は10年ぶりに川重)
選択されました。
 小郡駅新幹線口に乗り入れる目的で冷房が装備されていますので、当初は幹線の
優等便に充当されていたものと思われます。
 
 往時とは異なり、既に少数しか在籍しなかったいすゞ車ですが、高出力(195馬力)
で、貴重な冷房を持った路線車として、比較的長命となりました。
 
 特に871号は、1989年7月にエンジンブロックに亀裂が発生したため、
エンジンをドナー車と交換したようです。
 このドナーとなった車はJRバス光営業所に所属したBU04らしく、廃車後に車体ごと
購入されエンジン移植後、交通局内で業者により解体されました(幼かった管理人
は、この様子を目撃)。
 
 また、長期使用の弊害か、末期の872号は雨天において、右後部の屋根内からは
盛大に雨漏りしていた記憶があります。
 
 上に掲載されるその872号の写真は、廃車後に防府市内の解体業者敷地に到着
した際のもので、仮ナンバーを付け、交通局から夜通し作業員が走行していたよう
です。
山22う908号型
 
■導入:昭和51年(1976年)、新製
■型式:日野RE100
■車体:日野
■形状:リヤエンジン、前折・中折扉
■冷房:なし
■用途:路線
■構成:908(S51.11〜S60.2)
    909(S51.11〜S60.3)
    910(S51.11〜S60.3)
    (計3台)
 
 一連の購入車のうち、残る5台は昭和43年以来の日野車が選択されました。
 それも、大型3台と中型2台という構成となっています。
 
 しかしながらこの頃、日野の大型車は、エアーブレーキの効きの違和感と、
サスペンションの設定が現場には不評で、さらには車体が脆弱で腐食しやすいという
重大な欠点もあり、早期に淘汰の対象となったようです。
 
 本型3台は、昭和55年頃から何れも「じゅんかん」という看板を前面と側面に
装着し、主に市内中心部の循環線に用いられましたが、路線が急速に縮小された時期
揃って処分されてしまいました。
山22う911号型
 
■導入:昭和51年(1976年)、新製
■型式:日野RL320
■車体:日野
■形状:リヤエンジン、前折・中折扉
■冷房:なし
■用途:路線
■構成:911(S51.11〜H4.7)写真1
   912(S51.11〜H5.7)、後に「山口22う2650」に登録替、写真1
    (計2台)
 
 上記の大型に続き、最後の2台は中型車とされ、狭隘路線に投入されました。
 ただし前年に導入されたう671号型からは車掌設備を省略し、入口の引戸を折戸
にしたこと、及び前窓を「視野拡大型」にしたため、表情が柔らかくなっている点が
異なります。
 
 車内は、インパネが木目調で装飾されており、機能重視で簡素な車が多かったなかで
運転環境に変化を添えました。
 シフトブーツがゴムの蛇腹形状で、乗用車的であったことも他車にはない特徴です。
 
 方向幕は、90年代に入ってもなぜか本型のみ系統番号を表記しない旧式のもの
暫く使用されており、異彩を放っていました。
 
 前年度導入のう671号型や、日野の大型車は何れも早期に処分されるなか、本型
評価はそれほど悪くなかったのか、912号は車齢14年目の平成2年に乗用車と
衝突し前部が破損しましたが、廃車されず、修復うえ登録替えまで行って17年
という長寿を全うしました
■山22う911号(ご提供写真)
■山22う999号(ご提供写真)
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■山22う866号(ご提供写真)
■山22う872号(ご提供写真)
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山22う998号型
 
■導入:昭和52年(1977年)、新製
■型式:三菱MP117M
■車体:呉羽
■形状:リヤエンジン、前折・中折扉
■冷房:三菱(サブエンジン)
■用途:路線
■構成:998(S52.7〜H7.5)写真1
    999(S52.7〜H7.5)写真1
    1000(S52.7〜H7.5)写真1写真2
    (計3台)
 
 前年度に続き翌年度も15台が購入され、その先陣として登場したのが、MR系に
代わる待望の三菱最新型「MP」系車(215馬力)です。
 
 う658号型、上記う871号型と同様、小郡駅新幹線口に乗り入れるため冷房を
搭載し、貸切車のように着座位置が全て揃えられた客席と、緑色のゴムで覆われた
床材が高い車格を示します。
 
 また、インパネも上記う863号型とは異なり、黒色のシボ加工が施されており、
黒い筐体の冷房吹き出し口、及び長尺に見える車体長とが相まって、重厚な雰囲気
に包まれていました。
 ただし、エアサスとバックアイは装備しておりません。
 
 細かいところでは、後部幕板のアクリルに記載された「山口市営」の文字が省略
され、後部腰帯部の表記は「山口」と「市営」の文字間が大きくとられて、広告板の
設置が前提となるように位置を変更しています。
 1000のみは、運転席の「停車知らせ灯」をピボット式の自立タイプ(角形)に
変更。
 
 本型の3台はその充実した装備と高出力を生かし、幹線の優等便をはじめ、
宇部空港線の「特急」にも充当されるなど大いに活躍しました。
 999は、後にバス利用促進の目的で、当時の大きな顧客であった大内小学校の
生徒の手による絵画が両側面に描かれ、存在感を高めています(平成6年頃に劣化の
ため消去)。
 
 3台とも交通局の宮野移転を機に廃車処分され、小郡の解体業者敷地に2000年
初頭まで留置の末、姿を消しました。
2013/5/5      2019/9/8
 
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