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山22う1638号型
 
■導入:昭和57年(1982年)、新製
■型式:いすゞK-CCM410
■車体:川重
■形状:リヤエンジン、前折・中折扉
■冷房:ヂーゼル機器(直結)
■用途:路線
■構成:1638(S57.2〜H4.12→奄美交通に移籍〜H21.2)写真1
    1639(S57.2〜H4.12→奄美交通に移籍〜H20)
    1677(S57.4〜H4.12→奄美交通に移籍〜H21.2)
    (計3台)
 
 昭和56年度の「地方バス路線維持費補助金」制度を活用し、導入されることに
なったという中型車(160馬力)です。
 ただし3台のうち年度内に取得が認められたのは2台分のみだったようで、残る
1台は翌年度の購入という形を採っています(1677)。
 
 装備としては、発車後に自動で動き出す放送装置(前扉と連動?)、新型の
整理券発行機、同じく新型の停車ボタンなど、幾つかの新商品が採用されました。
 
 そして寒冷地仕様にもなっており、プレヒーターを搭載し、ブロアは標準の客室
右列だけでなく左列にも設置。
 冷房も熱交換機が四個もあったため、非常によく効いていたと思います。
 
 さらには当時としては珍しい「低床仕様」が選択されており、本来は18インチの
タイヤを履くところ、16インチを履くことで車高が若干抑えられていたのでした。
 
 こうして新装備・新仕様を満載して活躍を期待された本型ですが、しばらくして
制動系に重大な不具合があることが判明。
 メーカー改修でも抜本的には解消されなかったため、とうとう衝突事故や乗務員に
よる「乗車拒否」まで発生するに至り、止む無く全装備を付けたまま、最低限の
償却期間を待って中古売却する判断がなされたといわれています。
 
 結局、福岡県の業者を通じて鹿児島県の奄美交通(当時)が3台とも購入し、
うち2台は不具合もなく平成21まで使用され続けました
 
 不具合の原因は、低床仕様のために採用された小径ホイールの放熱不足にあった
ようですが、車軸と足回りの変更は車検証上の「構造変更」と大改造を要するため、
断念されたといわれています。
 
 その後の奄美では、山口市とは路線環境、運用・整備方法に違いがあったのか、
この不具合を露見させなかったものと推定されますが、以降の山口市営では、いすゞ、
川重は禁忌とされてしまい、歴史のあったメーカーの最後の導入事例となりました。
 
 なお、奄美大島における本型車は、日本国内で最後まで現役であり続けたCCM路線車
にもなっています。
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■山22う1678号(ご提供写真)
山22う1678号
 
■導入:昭和57年(1982年)、新製
■型式:三菱K-MK116J
■車体:呉羽
■形状:リヤエンジン、前折・中折扉
■冷房:三菱(直結)
■用途:路線
■構成:1678(S57.4〜H14)写真1
    (計1台)
 
 上記1638号型と共に導入された最後の1台だけは、なぜか三菱車が選択され
ました。
 これは、CCM型とMK型車(170馬力)の性能比較、及び当時最新の「スケルトンボディ」
試験的導入することが主目的だったと思われます。
 結果的に、いすゞ車は上記の不具合から致命的に忌避されるようになったため、
以降は三菱/呉羽の中型車が、ほぼ独占的に選択されていくようになりました。
 
 本車はその最初の1台となったことになりますが、後の同系とは異なり、バネサス
と分散型の冷房装置が特徴です。
 この冷房装置は、内部では「UFO」と呼ばれていたようで、効きが悪かったとされて
いますが、当時はこの仕様しか選択ができなかったようです。
 
 このほか薄型の前バンパー、片側にしかない最後部柱の化粧板、腰部の飾り帯
など、呉羽の中型スケルトンボディ最初期の特徴を数多くみることができます。
 
 なお、上記1638号型と同じく本車も低床仕様で小径ホイールを採用したため、
制動系の放熱には常に不安があり、整備を悩ませたといいます。
 
 平成11年の山口市営解散時には、最古参車として防長交通に編入。
 平成14年にノンステップバスが同社で導入される際、代替で廃車処分されたよう
です。
 塗装は最後まで変更がありませんでした。
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■山22う1677号(ご提供写真)
山22う1547号型
 
■導入:昭和56年(1981年)、新製
■型式:三菱K-MS615N
■車体:呉羽
■形状:リヤエンジン、前折扉
■冷房:三菱(サブエンジン)
■用途:貸切
■構成:1547(S56.3〜H11.3)、後に「山22う1733」に登録替、写真1
    1548(S56.3〜H11.3)
    (計2台)
 
 この頃の山口市営の貸切車は平均車齢が9年半に達し、他社ではセミデッカー車が
出現するようになるなかで、見劣りが顕著になってきました。
 そこでい1337号う648号を更新する形で導入されたのが、初のセミデッカー
で、当時としては超高出力(310馬力)のエンジンを搭載した本型です。
 
 オプションでカラオケデッキ(8トラック式)やボトルクーラー、ステレオを装備。
 バックアイや側面の市章こそ省略されましたが、「市内定期観光」にも投入され、
当時の看板車種として大いに活躍したものと思われます。
 しかし私が見かけた1994年頃の本型は常に車庫内にあり、極端に運用が少なく
なっていたようです。
 後述する後継車の導入などで、既に中途半端な存在となった為なのでしょう。
 
 結局、1999年の山口市営解散時、本型は防長交通には編入されず、中古車として
処分されてしまいました。
 その後は2台とも山口県内で自家用登録された模様ですが、詳細は判っていません。
 
 なお、1733は登録された翌年に交通事故に遭遇し、プレートを破損したため、
登録番号を変更しています。
■山22う1548号(ご提供写真)
山22う1706号
 
■導入:昭和57年(1982年)、新製
■型式:三菱K-MS613S
■車体:呉羽
■形状:リヤエンジン、前折扉
■冷房:三菱(サブエンジン)
■用途:路線(後に貸切)
■構成:1706(S57.7〜H11.3→自家用登録〜H17)写真1
    (計1台)
 
 昭和57年春に開始された宇部空港線に用いることを前提に導入された特別車です。
 それまでの同線には、車齢が5年以上を経過した優等便用路線車(冷房付)を充当
していましたが、サービスの向上が急務となっていました。
 しかし当時の経営審議会において車両の稼働率を高める必要に迫られ、「市内定期
観光」用途との兼用車として導入することで妥結した、という背景もあるようです。
 
 従って、仕様的には純粋な路線車には不要なカラオケデッキ等が装備されており、
昭和60年にはボトルクーラーも追設され、多用途に備えています。
 また、塗装も三菱の「標準塗装(サンプルカラー)」を参考とした特別色を採用して
おり、異彩を放っていました。
 
 ただし同型車が無かったため、実際の運用では空港特急をう999号型、そして
市内定期観光をう202号型等と午前・午後で折半して担当していたようで、何れも
サービス向上としては中途半端なものに終わっています。
 昭和61年に僅か4年で宇部空港線が廃止された後は、路線装置を一部撤去し、
市内定期観光の専従車となりました。
 
 個体としては左旋回が苦手だったほか、特注で大きくした正面の方向幕は雨漏りに
悩まされたようです。
 
 平成6年頃には正面の赤塗装の面積を縮小。
 側面の「西京」の塗装文字を金色のプレート型に交換し、ホイールキャップを装着
するなど小変化がありました。
 平成8年にはバックアイも設置しています。
 
 平成11年の山口市営解散時には、中古車として岡山県の業者に売却され、徳島県の
運送業者に転売。
 そこで阿南市内の発電所の建設工事に従事(構内専用)し、平成17年頃に廃車された
ようです。
 
 現在は解体業者から購入したという個人が、阿南市内で飲食店として廃車体
再利用(休業中)しています。
■山22う1706号(ご提供写真)
山22う1867号型
 
■導入:昭和59年(1984年)、新製
■型式:日野P-RJ172BA
■車体:日野
■形状:リヤエンジン、前折・中折扉
■冷房:デンソー(直結)
■用途:路線
■構成:1867(S59.2〜H18)写真1
    1868(S59.2〜H17)写真1
    (計2台)
 
 昭和58年度も補助金を活用して2台が導入されたようで、およそ7年ぶりに日野車
登場しました。
 そしてこれが最後の板バネ新製車であり、また、最後の日野製路線車ともなりました。
 
 仕様としては標準的な中期レインボーの「ひとつ目」であり、直結冷房を装備する
ものの大型方向幕は従来車と揃えるため採用していません。
 
 マーカーランプが前側のみ9年ぶりに装備されましたが、後に腐食で雨漏りを誘発
するため、1867は平成6年までに、1868は平成12年頃に撤去されました。
 
 平成5年には、1868が車体更新の際にう2892号型に準じた「新塗装」に
デザインを改めます。
 翌年には1867も同様に変更され、旧塗装車も順次塗装が変更されていくことを
予感させました(何れも防府市の業者にて施工)。
 このときに、前扉(運転席窓)の脇にあった「Hino Rainbow City」の純正ステッカー
は、黒色で塗りつぶされています。
 
 防長交通に編入後は主に大内地区の路線等を担当し、2台とも20年を超える長寿
を全うしました。
■山22う1868号(ご提供写真)
山22う1930号型
 
■導入:昭和59年〜60年(1984〜1985年)、新製
■型式:三菱P-MS715N
■車体:三菱
■形状:リヤエンジン、前折扉
■冷房:三菱(サブエンジン)
■用途:貸切
■構成:1930(S59.7〜H11.3.31→自家用登録〜H20)写真1
    2057(S60.8〜H11.3.31→自家用登録〜H18頃)
    (計2台)
 
 この2台は間隔を空けて導入され、仕様も僅かに異なりますが、同目的の同型車で
あるため、便宜上「う1930号型」として一括しておきます。
 
 当時の山口市営の純粋な貸切車の導入は3年間ほど途絶えており、貸切車の
「高齢化」はさらに進んで「平均車齢」は10年8か月という状態でした。
 これを解消するため、先ずい1338号を置き換える目的で1930が、そして
翌年にはい1502号を置き換える目的で、2057が導入されています。
 
 ただし、貸切車としては高出力(320馬力)でありながら、接客設備が当時としても
簡素な仕様で発注されており、高級車を期待する現場を失望させたといいます。
 これが後に豪華仕様の貸切車(う2303号型)を導入する契機にもなったようです。
 
 1930と2057の違いは、1930がフロントに「FUSO」と「MMC」のエンブレム
を装着るのに対して、2057にはこれが無く、代わりにテレビとホイールキャップ
を装備していること、及び車体後部の「山口市営」の文字間隔が1930の方が広い
こと、などです。
 ホイールキャップは、ホイールハブの規格が微妙に異なるため、両者間での流用は
出来なかったといわれています
 
 2台とも平成8年にはバックアイを設置しており、外観に小変化が生じています。
 
 山口市営解散後は、上記う1706らと同様に2台とも岡山県の業者に売却され、
1930は山陽小野田市の飲食店に、2057は島根県隠岐のホテルにそれぞれ
送迎バスとして再就役しました。
 2057は平成21年頃に廃車処分。
 1930は冷房故障のため平成20年に廃車され、下関のふそうディーラー、その後
は山陽小野田市の解体業者の敷地内に留置の末、平成25年に解体されました。
 
 
■山22う2057号(ご提供写真)
2013/5/5      2019/8/25
 
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 昭和50年代の後半以降、利用者の減少に歯止めがかからならい状況を前に、山口市営では車両の小型化と旅客
サービス水準の向上で対処しようとしますが、予算と人員の大きな制約のなかで、苦悩を続けます。
 平成7年には、本拠地を湯田地区から宮野地区に移転するというかなり大胆な政策も採られましたが、抜本的な財務、
経営効果は乏しく、概ねこの状態のまま最後のときを迎えました。
 
 ここでは、中型車のみになった路線車を中心に、新塗装の採用と豪華貸切車の出現といった、最後の輝きを放つ
山口市営の様子をみて参ります。
 
■更新履歴:2021/1/10 1233号車の情報を追加