かつて市内の隅々まで路線を誇った山口市営。
その痕跡は路線が縮小された後も、そして市営が消滅した現代でも、少なからず点在しています。
特別企画6回目の今回は、そうした廃止路線の痕跡を実走し調査してきた様子をご覧下さい。
●更新情報(2008/11/22):公開開始
私が山口市営を利用していた時期とは、1991年から93年頃にかけてのことでした。
このころの運行形態はそれほど複雑では無く、各路線車両の運転席の後ろに貼られた「路線図」を覚えるのは、小学生
でも比較的簡単だったような気がします。
ところがある日、交通局の裏手に放置されていたう673号の車内に立ち入った際、その路線図が他の車両のものと
明らかに異なることに気付きます。
幹線の東西終点と思われていた小郡駅、そして仁保井開田の先に、それぞれ「枝葉」のように路線が延びていたほか
幾つもの小規模の路線が記載されていたのです。
予想もしていなかった事実に私は驚愕し、いつしかそうした「廃線」も辿ってみたいと願うようになりました。
しかしそれは学生身分であった山口時代には叶わず、さらに広島に住むようになってますます実現は遠のくようになって
しまいます。
時は流れ2007年。
会社へ通勤するために自動車の購入が必要となり、あれこれ車種選定をしていると、いつしかあの頃の情熱が復活し、
そうした「廃線探訪」の用途にも耐える車が良いのではないか、と考えるようになりました。
そして出した結論が、スバルの「R2」の購入なのです。
2003年のモーターショーに姿を現して以来気になる存在でしたが、山口への高速道路を苦もなく走る強力な機械過給の4気筒
エンジン、そして小回りの利く車体、連続カーブや悪路に強い独立懸架などハード面のほか、維持費、税金、高速料金などの
利点もあって、まさに最強の「公用車」に相応しい一台だと思いました。
購入後、さっそく前哨戦として滋賀県と福井県に残る「国鉄・柳ヶ瀬線」跡を探訪。
その実力を遺憾なく発揮し、山口での実戦投入へ期待が高まります。
そして会社を退職して一時的に時間に余裕の出来た2008年の夏、ついにその時は訪れたのでした。
■廃線の探訪方針
いよいよ廃線訪問を開始します。
しかし今回私は山口を訪問するにあたって、予め以下の方針を立てました。
・調査は「廃線」を最優先とし、現行路線は除くこと。
・「廃線」とは、1963年と73年の路線図に記載のあるもののうち、
92年頃までに廃止になっていたものを指す。
・写真撮影はバスベイを中心に、回転場など明らかな痕跡に対して行い、
プライバシーの観点からあまり多角度・複数枚撮影は行わない。
・各廃線を走り終えた時点で、周囲にある廃車体の捜索に切り替える。
の4点です。
このうち廃バス捜索は、バスが入れそうな道は全て立ち入って調査することとしましたが、
には不十分に終わったかもしれません。
また、廃線訪問後は、この捜索こそが山口訪問の最大の目的となってしまい(笑)、
50回近くに及ぶ捜索活動が、別個に行われています。
それでは、以下に各路線の近況を区域別にまとめました。
路線名は終点のバス停名称・沿線の主要駅名を基本的には当てはめ、順不同に
並べています。
また、全てのバス停跡の現状は把握しておりません。
撮影日の天候が私のスケジュールとなかなか合わず、曇天・雨天が多いのが
悔やまれます。
■朝倉線 【開始:1952年、廃止:1986年】 2008年7月訪問
先ずは、市内中心部を南北に走った朝倉・糸米線です。
朝倉団地から湯田温泉や警察署方面へのアクセスを目的として設定されていたと思われます。
後に国道9号線のバイパス(現・国道9号線)が完成し、路線は上下に分割されてしまいました。
現在の同線跡地は、残念ながら近年の道路整備の影響が顕著で、遺構と呼べるものは殆ど残されていません。
特に「朝倉口」と「中道」バス停の間は、全く様子が変わっています。
私が山口に在住だった頃は、「朝倉口」「市営アパート前」などは停留所標識を撤去しただけの状態で痕跡が確認
出来ましたので、少々残念です。
糸米付近もバスが走っていた頃と比べると開発が進行しており、原型を留めていません。
左の写真は旧「朝倉」バス停付近で、現在はコミュニティバスの「朝倉中央」バス停となり、往時を偲ばせます。
■元町経由(上東線) 【開始時期不明、廃止:1987年】 2008年7月訪問
次に、現役路線である「上東」を通る路線の一部として比較的近年まで存在したのが本線です。
かつて「上東」へ行くバスの一部は国道9号線(現・県道204号線)を北側へ曲がり、この2つのバス停を通って
「土井」、「赤妻」、「上東」へと達していました。
付近一帯は路線廃止後も大きく手を加えられることが無く、比較的当時の様子を伺い知ることが出来ます。
ただしバスベイや停留所標識の痕跡は確認出来ませんでした。
左の写真は旧「元町」バス停付近で、やはりコミュニティバスの「湯田温泉6丁目」バス停となっています。
ただし次の「泉町」バス停は、当時のものと現在の「泉町」では全く位置が逆となっていました。
■天花線 【開始:1952年、廃止:1983年】 2008年7,8,11月訪問
本線は現在の「上竪小路交差点」を北上し、錦鶏の滝付近までを結んだ路線です。
沿線の木町・天花地区への利便を図っていたと思われますが、1983年に「一の坂ダム」が完成し、本来の
路線の大半はダム湖底に沈みました(※)。
従って現在確認出来る痕跡はダム湖部分を除くと僅かなものですが、興味深いものも残されています。
左の写真は旧「天花公会堂」停留所のもので、バスベイや待合室が残るなどした完璧な遺構です。
山口市営による路線廃止後も、その代替として山陽急行バスが「萩ー山口市内ー宇部空港」の路線便を
しばらくは天花地区(坂堂峠)経由としていたほか、天花発着便まで設定していた(※)ようですので、実際に
最近まで使われていたのかも知れません。
(※)掲示板にてMCS様より情報をいただきました。ありがとうございました。
■中尾線 【開始:1943年、廃止:1983年】 2008年7,11月訪問
山口市北部に位置する中尾地区と市内中心部を結ぼうとしたもので、市営発足当初からの古参路線でした。
沿線は民家が点在しておりある程度の需要はあったと思われますが、全線にわたって道路は非常に狭く、とても
大型車が闊歩していたようには思えません。
そのため今回の調査では途中から路線跡そのものが分からなくなり、終点「中尾」付近の写真は「推定」となって
いましたが、その後の調査で、やはりここが終点であることが判明しました。
左の写真は旧「中尾公会堂」バス停の名称にもなった公民館付近のものです。
■台の木線 【開始:1952年、廃止:1983年】 2008年7月訪問
仁保の「井開田」から分岐し、そのまま東方の集落までを結んでいた路線でした。
終点の名称は「上山」ですが、当時の車両の方向幕には「台の木」と記載されていたようです。
現在は県道123号線の一部となっており、道路も後の時代に拡幅されているのか、比較的余裕のある
走行環境でした。
そのため沿線にはバスベイなどの痕跡が全く見られません。
左の写真は旧「上郷農協前」バス停付近のもので、左の建物が農協のものだったと思われます(現在は廃墟?)。
このバス停は1963年の路線図では「大富小学校前」となっており、実際に農協の向かい側には小学校であった
と思われる施設も現存していました(廃校?)。
■一貫野線 【開始:1955年、廃止:1983年】 2008年7,11月訪問
やはり仁保の「井開田」から分岐し、南西方向の集落を結んでいた路線です。
台の木線とは異なり、路線は起伏と曲線の多数ある勾配区間に突入していきます。
こちらも現在は県道197号線の一部となっておりますが、なぜか道路整備はあまりなされておらず、当時の
バスベイや点白線などの痕跡が何箇所かで顕著に見られます。
ただし終点「一貫野上」の具体的位置は(このときは)特定できませんでした。
左の写真は旧「坂本橋」バス停のもので、見事にバスベイが現存しています。
■熊坂線 【開始:1966年、廃止:1983年】 2008年7月訪問
一連の1983年廃止路線の中では、最も新しいものでした。
宮野小学校の前を南に下り、そのまま狭い道に沿って行くと終点「熊坂」に到達します。
途中の道路には痕跡などは殆ど存在していませんでしたが、終点だけは現在もコミュニティタクシーの停留所に
転用されているようで、その名も「熊坂旧バス回転場跡」という非常に分かり易いものになっていました。
左の写真はその終点「熊坂」バス停の跡です。
当時から舗装はされていないと思われます。