■奥畑線 【開始:1958年、廃止:1970年】 2008年8月訪問
本線は、下記の仁光寺線に接続する形で国鉄・四辻駅北方の畑地区まで伸びた路線でした。
ただし小郡駅側から直通運転されたのか、或いは秋穂方面から運転されたのかは未だ分かっていません。
現在の同線跡は県道194号線の一部となっていますが、道路幅は非常に狭く、対面通行も不可能な箇所が
幾つか見られました。
やはり大型車が通っていたとはとても思えない状態です(当時のバスの規格は、現代の中・小型と同等のようです)。
左の写真は「山根」バス停を過ぎた付近で、道幅が非常に狭いことが分かると思います。
結局、終点「奥畑」は、具体的な位置が特定できませんでした。
■仁光寺経由(秋穂線) 【開始:1958年、廃止:1970年】 2008年8月訪問
秋穂線の増強に伴って誕生した本線は、「長浜」、「宮の前」に続く「第3の秋穂ルート」を構成していました。
しかし奥畑線と同じく開始から僅か12年で廃止されてしまい、現在でもコミュニティバスやタクシーなどは通っていない
ことから、乗客数はそれほど多くなかったのではないかと思われます。
路線跡は奥畑線と同じく県道194号線となっていますが、こちらの場合は後の時代に道路整備が行われており、
走行環境は一変してしまいました。
ただし何箇所かには比較的近年のバスベイが残っており、他社が運行していた事実が強く示唆されています。
左の写真はそうした近年のバスベイの一つで、「ろう学校」前と位置的に重なっていました。
【その他の写真:
準備中】
■阿知須線 【開始:1952年、廃止:1967年】 2008年8月訪問
本線は1952年の宇部線の開始に伴って設定されたと思われますが、1950年には宇部市営と山口市営は
相互乗り入れを開始しています(詳細不明)ので、その際には既に出来ていたのかも知れません。
当時は全国的に海水浴シーズンに鉄道やバスが貸切・臨時便などで運行される例があったと思いますが、
山口市でもそれは例外では無く、巨大な海水浴場を有した阿知須方面は夏場に特に人気が高かったと思われます。
しかしその後は国営の干拓事業が開始されたため(2001年「きらら博」会場)、かつての光景は姿を消しました。
左の写真は「阿知須駅」付近のものですが、駅前は2001年までに整備されてしまったために原型を留めていません。
■由良線 【開始:1952年、廃止:1983年】 2008年8月訪問
上記にある阿知須線内の「幸の橋」より分岐し、本由良駅を経由して再び阿知須線の「岩倉」で合流した路線です。
ただし1967年に由良から阿知須への区間は阿知須線と同様に廃止されました。
1960年には途中の「原条」で折り返す便も設定され、こちらは1970年まで存続しています。
現在は県道335号線の一部となっておりますが、道路整備の影響は全線にわたって比較的軽微で、コミュニティバスが
旧路線にほぼそのまま停留所を設けていたため(2008年9月末で廃止)、確認は容易です。
左の写真は「出合」バス停付近のもので、このときは「河内神社前」となっていました。
■吉敷滝線 【開始:1957年、廃止時期不明】 2008年8月訪問
期間限定の条件で開始されますが、1963年の路線図には記載があることから少なくとも6年間は存続していたハズです。
前述の「中尾」線の「吉敷出張所前」を北西に進む、停留所3つの小規模路線でした。
左の写真は終点「鼓の滝」(回転場跡か?)付近ですが、途中はかなり狭い道を通ることになります。
■鰐石橋経由(平川線) 【開始:1980年、廃止:1995年】 2008年8月訪問
開始時期がかなり新しい路線ですので、私自身もここを走るバスを見ていたかも知れません。
新鰐石橋交差点から古曽交差点間に3つの停留所があり、交通局移転に伴う路線改編のために廃止
されたものと思われます。
現在でも3つの停留所跡地全てにバスベイが残されており、発見は非常に容易です(※)。
左の写真は「上平井」跡のもの。 (※)本線の現状については猫好き様より掲示板上にて教えていただきました。ありがとうございました。
■大歳駅経由(平川線) 【開始:1966年、廃止:1970年】 2008年8月訪問
もともと大歳駅に至る路線は1943年の発足時に矢原方面から接続され、1958年に「平川循環線」という形に
発展して平川平野へも繋がるようになります。
その後、この循環線が廃止になった1966年を機に設定されたのが本線です。
ただし急激な路線縮小の波を受けてか、僅か4年で廃止になってしまいました。
写真は「高田橋」バス停の名前の由来ともなった高田橋ですが、現在は架け替え工事が行われています。
■蔵敷線 【開始:1961年、廃止:1965年】 2008年8月訪問
小郡駅に至るルートの一つと思われ、「柳井田」バス停(現役)を過ぎると国道9号線の中領交差点を東に
曲がって、旧市街部の非常に狭い道路を通っていました。
しかし何故かこちらも4年で廃止されています。
写真は路線名にもなった「蔵敷」付近だと思いますが、あまり自信はありません・・・。
■宇部空港線 【開始:1983年、廃止:1986年】 2008年8月訪問
宇部線は1952年に開始され1967年に一旦廃止されますが、1980年に連絡輸送を実施(試験運行?)し、
1983年に空港への特急便という形で復活しました。
停車駅は小郡駅から先は2か所が設けられ専用車両まで投入されましたが、僅か3年で撤退してしまいます。
写真は終点「宇部空港」の模様です。
2000年にターミナルは改築されたため、当時の痕跡は残っていません。
■秋芳洞線 【開始:1958年、廃止:1970年】 2008年8月訪問
本線は当初「ガイド付き」の特急便で開始されており、観光路線として重要視されていたようです。
当時の写真が今のところ一切無くて詳細は不明ですが、貸切車に近い仕様の車が運用されていたのかも知れません。
写真は「秋芳洞」バスターミナルの模様です。
さすがに当時の建物は改築されていると思われます。
■讃井線 【開始:1943年、廃止:1965年】 2008年8月訪問
発足当初からの古参路線で、当時は事実上の幹線だったと思われます。
その後国道9号線(現・県道204号線)が整備され、役目を終えました。
拡幅等は行われていないため道路状況は現在でも当時と殆ど変化が無いハズですが、一部はアーケード街に
変貌しています。
写真は「讃井」付近(推定)です。
コミュニティバスの路線の一つになっていました。
最後に、短期間で終わったものや小規模の路線、初期の路線、市外路線についてまとめました。
■まとめ
以上が今回の調査によって判明した成果です。
何れの路線も廃止からは平均して30〜40年近くが経っており、限りなく原型を留めるものは少数しかありませんでしたが僅かな痕跡や
走行環境程度であれば、意外と当時のままで残っていたようにも思います
我がR2の走行距離は(廃車捜索も含め、1行程で)実に合計四千キロにも達し、改めてかつての市営バスの営業規模の大きさを実感
しました。
また、狭い箇所も多く、とてもバスが走っていたようには思えない道も多数ありましたから、軽自動車での調査は正解だったようです。
一方、今回の調査において特に驚かされたのは、コミュニティバスやコミュニティタクシーの活躍です。
かつての市営が撤退した路線・地域において、車両の規格や停留所名こそ変わっていましたが、「乗合自動車」という交通サービスが現代
でも提供され続けているという事実は、大いに注目に値すると思います。
これらには直接・間接的に市の政策当局が関わっていますので、実質的には現代の「市営バス」の姿であるとも言えるでしょう。
市のホームページによればこれらは「試験運行」の段階(当時)とのことですので、今後の見通しは不透明ですが、なるべく多くの意見を
踏まえ、交通局が残した56年の教訓を生かし、存続して頂きたいと思いました。
最後に、1963年の路線図をご覧になってお分かりの通り、旧市営バスの廃止路線は今回掲載したものが全てではありません。
未だ若干の毛細路線の調査が残れていますが、これは次回以降としておきましょう。
ここまでご覧いただき、ありがとうございました。
●旧由良線を調査中に、路肩に停めた私の車を追い抜くコミュニティバス(ハイエース)。
このほかにも山口市内には幾つかの路線でコミュニティバスが運行されているのは
周知の通り。
ただし「試験運行」のため、将来は流動的。
本車も撮影の翌月には廃車処分され(※)、路線も廃止(他社が代替)されてしまった。
(※)本車の廃車後の情報は掲示板にてコロッケ様より教えていただきました。ありがとうございました。
左写真は局長:2008年8月撮影、リンク先は11月撮影
2008/11/19 2019/5/1