■山2い1001号 (昭和42年式)
本車は、山口市東部に現存した非常に古い個体です。
バス窓、角の四角い運転席窓、独立式のウィンカーベゼル、そして4分割式のフロントウィンドウ等、
という前期41MC型車体の特徴を見事に伝えていました。
これに加え、山口市営の初期ワンマンカーの特徴であった「青帯」も部分的に残っていたことから、
時代を語るにふさわしい、第一級の史料といえました。
しかしながら平成26年(2014年)5月、現地を訪問された方の情報により、解体撤去されたことを確認。
ワンマン変遷史を伝える一級の記念物でしたので、大変残念な思いです。
当サイトへお越しの猫好き様が、平成18年に発見されました。
※撮影許諾済
■山22う869号 (昭和51年式)
山口市南部の採石業者敷地内で発見したものです。
車体後半は倉庫と雑木林に囲まれ、状況の確認ができませんが、フロントや屋根の腐食は酷く、
非常に痛々しい状態でした。
奇跡的に方向幕が残されていた為、現所有者様より譲渡していただきましたが、
車体は今や激しく腐食しています。
現地土地開発のため、2020年12月に留置場所が変わりました。
●最終現存確認:2021年11月
※撮影許諾済
■廃車、ドラマの果てに
廃車体は、その個体が歩んできた歴史や出来事を無言で語りかけてくれます。
上の題字写真に写る車でも、広告看板の取り付け痕や、下地塗料、初期状態、改造痕など、非常に興味深いものばかりです。
ここでは、平成20年頃から始めた捜索によって発見された多くの車両と、平成6年頃の交通局の一角に大量留置されていた車両の様子を
ご紹介していきます。
先ずは、奇跡的に現存する4台の車両たちです。
※現存する廃車体の取材では、現所有者様の正式な撮影・公開の許可を得ておりますが、90年代前半に撮影された写真の多くは、幼少期の
撮影であり、当時の慣習として正規の許可を得たものは残念ながら殆どありませんことは、予めご了承下さい。
何れも掲載に問題のある場合は、ご指摘いただければ当該写真を修正・或いは削除を致します。
■更新履歴(2022/1/1):現存情報更新
以上が、現在までに発見され、現存している旧・山口市営の廃車体の全てです。
これらの情報は、バス趣味が完全に復活した平成20年頃から、山口県内の2/3の道路という道路を乗用車で走行して発見してきた
もので、その走行距離は約8万キロ近く、費用は高速代、燃料代、食費、宿泊費などを総計すると約100万円以上に達しています。
ここまでして廃車体に執着する理由とは何かといえば、一時的に市営バスの趣味から離れてしまったことへの贖罪と、懐かしい、幼少期
の自分の姿を追い求めるようなもの、とでもいいましょうか。
また、バラバラに散って失われた、山口市営の断片を一つ一つ収集し、補完するような気持ちにもなるのです。
現在、山口県内では、残り1/3の道周辺について捜索が完了しておりません。
まだまだ沢山の新たな廃車体が発見されることを祈っているところです。
★山口市営車以外の廃車体については、別サイトにてご紹介しております。
(詳細は別途検索されるか、お問い合わせください)
★上記以外の廃車体について情報をお持ちの方がいらっしゃれば、是非ともお気軽にご連絡願います。
(撤去済みの物件のお話、お写真でも大歓迎です)
以下は、これまでに存在していた廃車体、及び交通局での廃車体の話題を取り上げていきます。
■山22う1043号 (昭和52年式)
山口市東部の廃線訪問の際に発見されました。
個人の方の所有物となっており、廃車後数年は動かしておられたようです。
理解がある方の手元にあったためか近年まで状態が比較的良かったのですが、雨ざらしのため老朽化が進行し、
平成25年11月に解体処分する決断をされたようです。
解体業者に移動する本車の目撃情報が寄せられたため、急遽その解体業者を訪問して、一部の部品を販売
していただきました。
※撮影許諾済
■山22う1044号 (昭和52年式)
上記う869号と並べて置いてあります。
当時は僚車の「う1043号」(下記)が現存していましたので、共に現存していたことには、本当に
驚かされました。
869号と同じく現地の開発工事のため、近年に場所を移動。
リアアクスルが固着しており、重機で移動した際にはエンジンが脱落するほど腐食していたようです。
●最終現存確認:2021年11月
※撮影許諾済
■山22う1060号 (昭和52年式)
下記う1043号の所有者様より頂いた情報で訪問した結果、発見されたのが本車です。
台風で破壊される数年前までは非常に綺麗な外観だったということですが、老朽化と個体元来の
車体の脆弱性が相まって、非常に劣悪な状態となっています。
フロントの市章・エンブレム類は既に誰かに譲られたようです。
●最終現存確認:2020年3月
※撮影許諾済
■山22う1706号 (昭和57年式)
2012年のある日、インターネット上で1706号を捜索すべく徳島県の廃バス写真を検索していたところ、
見事に本車の写真が出てきたため、直ちにその写真を掲載された方に連絡をとり、有り難いことに現地まで
ご案内していただいた結果、取材することが出来たものです。
当時は飲食店として活用されており、外観はかなり原型を留めていますが、内装は座席や装備品類が全て
撤去されたため、当時の面影は残念ながら殆ど残しておりません。
以前は木製品で屋根を架けていたそうですが、台風で破壊されたとのことで、現在は露天となっています。
本車が山口から遥か離れた徳島の地で、未だに存在していることはまさに奇跡そのものです。
なお、当時は正体不明の廃車体だった本車の身元が特定されたことにより、価値が生まれ、今では多くの
サイト等で情報が共有されるようになったことも、私としては感慨深いものです。
当日はとてもご丁寧に取材にご協力をいただきまして、まことにありがとうございました。
●最終現存確認:2021年12月
※撮影許諾済
2002/12/15 2021/1/11
■湯田庁舎 廃車留置区画(1)
平成3年頃、湯田庁舎の南西敷地は、実質的には廃車両の留置区画でした。
その配置も当初は南側の壁に沿って留置されていましたが、数が増えるに従って、中の写真のように
西側の壁付近にも留置されるようになっていきます。
(中)写真は、今度は逆側で、左から866号、911号、364号です。
この3台は廃車になった平成4年〜5年の間に何度かポジションを変更しながら、平成6年3月の
解体を迎えています。
当初は911号と364号の間に上記1044号が留置されていましたが、僅かの期間に姿を消しました。
1992年までは865号、1062号の2台が留置してあり、次第に仲間が増えていきました。
最盛期の状態が、この写真の模様です。
872号はここに留置された当初、方向幕は撤去されていたもののナンバープレートは存置されたままに
なっており、廃車されたのかどうかが分かりませんでしたが、1〜2週間後にナンバーは外されています。
ここに最後に加わったのは362号で、そのときはかなりショックでした。
滅多にお目にかかることのない、高貴で神秘の車両と考えていたからです。
そのため、廃車後の写真の中では同車が一番枚数が多いものとなっています。
余談になりますが、私がもっと幼かった平成元年頃には、ここで複数台のバスの解体作業が行われている
のを目撃したこともあります。
山口市内にある解体業者がトラックでやってきて、何台かあった廃車を次々とバーナーを用いて手作業で解体
していきました。
先ず屋根を切り取り、腰板を少しずつ崩していきながら、最後は台枠を二等分してトラックに積むという手法です。
どんな車があったかは記憶が曖昧ですが、「ヒゲ」付きの貸切車があったと思うので、202号型のうち、平成元年
まで在籍した「う204号」車だったと思われます。
その解体車の中には、なんと国鉄/JRバス(いすゞBU04)も1台が置いてあり、同時に解体さていました。
近年に分かったことですが、これはう871号にエンジンを提供したドナー車だった模様です。
後に、上記の解体業者の敷地内では、当時の山口市営には在籍していなかった、中扉の「引戸」(90年代に
見られた車掌のステッカー付)も発見されましたので、恐らく以前から山口市営とは取引があったものと思われます。
■変化の予兆
この留置区画には、セダンとバン、各1台のトヨタ「コロナ」(130型)と、ベンチコラムタイプの
「ライトエース」トラックの廃車体もありました(1980年式)。
バンのみ、前ドア部には「山口市交通局」と表記してあり、フォグランプも装備しています。
セダンは低グレードと思われますが、白いシートカバーがあり、幹部の公用に共されていた
可能性があります。
トラックの荷台には、バスの補機類(冷房サブエンジン?)が以前より載せられていました。
さてこの写真ですが、これはバス10台が突然姿を消すという悪夢の前日、防府市の解体
業者の大型トラックがやってきて、乗用廃車3台を積載する作業を撮影したものです。
この日私は学校帰りに偶然この様子を目撃し、これまた偶然持っていたカメラで撮影しました。
翌日、ここに大惨事(=廃車が全て解体処分)が起こるとは、未だ考えもしませんでした。
■廃車留置区画 (2)
(左)廃車群が一斉に撤去されたのち、ここは一時的に貸切車の駐車場になりました。
車高の高い車が駐車されています。
当時のデラックス車は、車高の関係で一般車庫は使えず、整備庫を常駐としていま
したが、通常車両の整備に支障が出ることから、このように疎開したものと思われます。
露天駐車ですが、止むを得ない措置です。
(右)しかし翌4月上旬には、早くも次の廃車が留置されるようになりました。
結局、整備庫の前の中途半端な位置に駐車されている、貸切車たちにも注目。
上記(右)の写真を別角度から撮影したものです。
左が863号、右が864号で、上の写真で363号に相当する位置に、864号が
留置されています。
864号の右端は写っていませんが、これは当時の私の撮影技術と、家庭用2眼
フィルムカメラの組み合わせによる宿命と言えるかも知れません。
この2台は未だ広告や装備品が残されていましたが、翌月には何れも撤去されています。
前年までは屋内車庫が定位置でしたが、新車が続々と投入されたため、二線級として
この位置まで留置されるようになったと思われます。
※撮影許諾済
(このとき既に、上記863号、864号の姿はありません(売却済だった模様))。
左から867号、869号、870号で、上の写真で864号に相当する位置に870号が
留置されています。
やはり右端が写っていませんね。
装備品は多くが撤去されていることから、既に廃車処分から時間が経過していると推定
されます。
ただし、方向幕だけは全車残されており、これまでの廃車処理とは全く異なる作業が
なされていました。
この記録の翌年、市営バスは宮野地区に移転し、湯田温泉での交通局は終焉を
迎えます。
近年判明したことですが、移転の際には多くのモノコック車が処分され、一時的に
廃墟となった湯田庁舎敷地に集められていたようです。
しかし、それらも暫くして姿を消し、湯田庁舎解体時には一台も残っていなかったと
いわれています。
こうした瞬間にも立ち会えなかったことが今となっては悔やまれ、廃車体捜索には熱が
入ってしまうのです。
※撮影許諾済
私が撮影してきた廃車体の話題は以上ですが、この他、廃車体の情報は随時お待ち
しております。