ここでは、主に山口市営以外のバスについてご紹介していきます。
これまで見てきた通り、平成6年前後に私は頻繁に山口市営バスの写真を撮りに出かけていたのですが、
撮影も一段落してくると、次第に記録が重複する車も出てくるようになりました。
そうした車は基本的に撮影をしませんでしたから、せっかく街に出ておきながら無収穫で帰ることもあったため、
仕方なしに撮影したのが、これらの他社のバスたちの記録なのです。
このような経緯があるため、あまり写真に愛情が感じられないかも知れませんが(?)、やはり今では貴重な記録も
含まれていると思います。
せっかくですので、ここではこうした記録を「参考情報」として掲載しておきます。
尚、正確な型式・年式・仕様等は推定、どこかで見たまま・聞いたまま情報を含みます。予めご了承下さい。
■更新履歴:2014/1/1 一部情報更新
●2627号 (山口22う)
先ずは宇部市営からです。
同じく市営バスでありながら、残念ながら宇部市営の車両はこの1枚しか撮影をしていません。
本車は宇部空港・小郡駅と、宇部中心部を結ぶ特急用途を前提に2台が導入された車の
うちの1台目のようです。
型式は1989年式の三菱P-MP618M改とのことですので、路線車台に貸切用の車体を載せていた、
比較的珍しい個体の一つと言えるでしょう。
車体には「宇部常磐公園」の美しい絵が描かれていますが、後の2000年代前半になってこの塗装は消され、
別の広告表記を経て通常塗装に戻ったようです。
2008年頃までは現役だったようですが、後に廃車されたと思われます。
中国JRバスの営業所は山口駅に隣接していたこともあり、全7枚という比較的多くの写真が
残っています。
各写真に写る車を、若番より全て並べてみると、以下のようになりました。
●1559号(山22う)
年式等は一切不明ですが、後期の富士3Eにいすゞのエンブレムが付いていますので
C系あたりでしょうか。登録替えをしていないとすれば、この番号は1981年頃の
ものと思われます。
●1848号、1850号(山22う)
腰部に側面方向幕を有するリベットレスの富士5Eで、2000年までには新塗装へ
移行していました。
●1923号(山22う)
国鉄末期に大量改造された格下げ車の典型例で、富士3Bに中扉を増設のうえで内装
も変更、後に外装も更新しています。
当時はそんな事情については全く知らず、純粋に「乗り心地良さそうだなぁ」などと
思っていました。
●2124号(山22う)
正面しか撮れていないので詳細は不明ですが、上記の1559号と同様かと思います。
営業所の敷地内ではナンバーを外された3Eを以前からよく見かけたので、これは
その内の1台が再登録されたものなのでしょう。それに合わせてか新塗装(銀色部も
青で塗装)になっています。
●2180号(山22う)
国鉄時代に導入されたエアロスターMで、国鉄色で幕板部が白く、側面には
燕エンブレムまで残されています。方向幕の形状からすると転属車かも知れません。
●2251号(山22う)
富士3B末期のグリルを持つ格下げ車ですが、中扉が増設されていたかどうかは
わかりません。
塗装による国鉄マークにも注目。
●2253号(山22う)
やはり格下げ車と思われ、当時の「はぎ号」専用車両でした。
恐ろしいことに(?)、こちらは正調な国鉄エンブレムが94年でも健在。
●2413号(山口22う)
この車には方向幕や整理券発給装置が見当たらないので、恐らく貸切車と思われます。
●2863号(山口22う)
1992年頃に登録された最新車(移籍?)の1台で、平川あたりで非常によく
見かけました。
2008年末には東広島支店に転籍。2013年9月に廃車され、2014年、
大阪の業者において解体されたようです。
●2944号(山口22う)
これも登録替の1台だと思われますが、塗装は国鉄仕様のままでした。
写真撮影日は表示の通りですが、一番左下のものは2000年で、右下は2008年夏
にそれぞれ撮影したものです。
サンデン交通はJRと同じく営業所が山口駅に近いところにありましたが、当時の私の中の存在感は
薄く、僅か3枚しか写真は残っていません。
記録に残る車は以下の通りです。
●1464号(山22う)
鮮やかな青い帯が印象的な富士3Bセミデッカーで、山口駅と宇部空港、宇部中央を結んでいた
貸切格下げ車です。改造は最小限だったのか、方向幕は装備されずに行燈方式となっていました。
●2000号(山22う)
ものです。
型式は1985年式の日産P-RA52Rとのことで、車体は富士5B(R2フルデッカー)と思われます。
●2218号(山22う)
塗装が示すとおり、山陽急行バスからの引き継ぎ車です。
方向幕の他に上記1464号と同じくフロントには行燈が設置されます。
側面には空港特急の全面広告もありましたから、誰が見ても宇部空港行きの専用車といった姿です。
型式は1987年式の日産P-UA32Kとのことで、西工58MC(B-I)のトップドアを架装。
冷房を装備するものの木床タイプで、88年式を含め同型は3台があったそうです。
遅くとも2003年頃には廃車されているようですので、同種の車としては比較的短命でした。
●2530号(山口22う)
純正・簡素な山口市営車ばかりを見てきた私にとって、この車には驚かされました。
近年にご指摘を受けるまでは全くそんな「バケモノ」とは思いもよらず・・・。
本車は富士3B(セミデッカー?)の顔面を、西工58MC(C系)の顔面を用いて更新した改造車の
ようです。
元々は隣の1464号とほぼ同じ顔をしていたとは、到底思えませんね。
ただしサイドモール(二重貼り)、窓形状などの側面部分を見れば、原型を思わせる箇所も
目につきます。
方向幕は装備されず、着脱式のアクリル行燈が用意されていました。
後面はどんな姿の車だったのでしょうか・・・。
この敷地には、写真には残っていませんが、もう一世代古い貸切格下げの路線の廃車体が倉庫
として使われていました。
これは2000年までには姿を消していましたが、どうも後に仁保地区に放置されていたことも
あるようです。
写真を撮っておけば良かったと今更ながら後悔しています(よくある話)。
最後は、防長交通社です。
当時の防長社は、山口市営の車庫の近くに車庫(防長トラベル山口支店)が
ありましたから、比較的印象も強く、写真も残っています。
ただしあくまで中・長距離路線を主体にしていたという認識で、まさか後に
市営を吸収することになるとは想像もしていませんでした。
記録に残る車は以下の通りです。
※2月5日撮影分は、フィルム感光というアクシデントのため見苦しいものも
あります。
●1400号(山22う)
1979年式日野RE121Pのトップドアとのことで、サブエンジンによる冷房
を装備しています。
方向幕はよく見えませんが、メモによれば「快速 交通センター 小郡/三谷
湯田 吉部」を掲出しているようです。
●1567号(山22う)
1981年式の日野K-RV541Pで、外観の特徴から自社発注車と思われます。
乗っていた乗用車の後部座席からの撮影で、あまりよい記録ではありません。
●1635号(山22う)
塗装が示すとおり、防石鉄道バスからの引き継ぎ車です。
型式は1982年式のK-RJ172Aとのことですので、板バネ仕様です。
側面にあった「BOSEKI BUS」の表記は消され社紋も除去されたようですが、
ハイバックの座席が並ぶなど豪華な仕様は健在です。
一部区間においては自由乗降も行っていたようですね。
●1829号、1832号(山22う)
両車とも日野P-RU637Aと思われますが、1829号はミドルデッカータイプ
になっています。
方向幕は29号が「ハイウェイ/特急 鹿野」行き、32号が「特急/高速道
錦帯橋・岩国駅」を
掲出しており、何れも今では見られないタイプです。
「ザビエル」号ステッカーにも注目。
この前後の番号を持つ同型車も、当時はよく走っていました(記録無し)。
●1960号(山22う)
貸切改造、高速・優等便仕様がメインだった当時の防長車において、唯一普通に
見ることのできた一般路線タイプが本車(とその前後の番号車)です。
防府営業所に属し、防府・秋穂方面と県庁前を結んでいるようでした。
右リアのフェンダースカート、そして丸いテールランプの仕様は、市営のMKを
見慣れている身からすればかなりの違和感を覚えるものでした。
いただいた情報によると、方向幕は手巻き式で、冷房は納車後の後付け改造
タイプだそうですので、装備面でも大きな差があったようです。
●2071号(山22う)
一連のRVセミデッカー改造車と思われますが、屋根の段差の位置が異なります。
そしてなぜか方向幕の動作も電動式(他車は手動ハンドル式)となっており、
興味深いところです。
写真では教習車として使用されています。
●2599号、2737号、2746号(山口22う)
元近鉄のRV(79〜80年式の742P)も多数が山口に出没しており、中でも
車両運用の都合なのか、2746号は最も多く見かけました。
ちなみに2737号は元「奈良22き・・96/たいま」、2746号は元
「京22か3058/とうじ」とのことです。
2599号の後ろに写る「ホテルタナカ」旧館は解体され、現在は「古希庵」
となっています。
●3697号(広島22く)
当時はRVも好きでしたが、このフルデッカーUもなかなか格好いいと思った
ものです。
2月の撮影時点では標準塗装でしたが、3月末の撮影では「パルケ」塗装に
変更されていました。
「広島バスセンター」行きのほかに「光市役所前」行きもよく充当されて
いました。
同型の車には「島根22き1706」号もあり、こちらも市内ではよく
みかけました。
防長車の記録はこれが全てです。
全体を通して言えることですが、写真をよく見れば、端っこの方には貴重な車の
姿もありますね。
もちろん当時はそんな認識は微塵もありませんでしたから、全てを記録には
残していません。
また、市営車以外にカメラを向けたことも、「仕方なく」という認識だったため
やむを得ないことです。
デジカメを所有した今では、他社の車でも車庫に居る車でも全てを撮っておく
ことが可能になりましたので、今後の教訓として参ります。
※当ページ掲載の情報につきましては、非常に多くの方、又はサイトさんの
ご意見・情報を 参考とさせていただきました。改めまして感謝申し上げます。