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山2あ0737号型
 
■導入:昭和33年(1958年)、新製
■型式:三菱WR370
■車体:西工
■形状:リヤエンジン、中折扉
■用途:路線
■配席:ロマンス
■構成:737(S33.10〜S45.6)
    738(S33.10〜S45.6)
    (計2台)
 
 三菱車としては、これまで導入されてきたWR200系車(130馬力)に続き、モデル
チェンジされ、エンジン出力が増強されたWR300系(150馬力)も導入されています。
 なかでも最もホイールベースの長い370型が選択されたようですが、残念ながら資料
各方面の記憶も乏しく、現在までに十分な詳細は判明していません。
 
 ただしこの頃、最も花形たる路線の長尺車には主に三菱/西工車が採用され続けて
おり、既に多数派を形成しつつあった状況がみてとれます。
 
 ワンマン対応車が大量投入された最後の年である昭和45年、入れ替わる形で除籍
処分されました。
2017/1/9     2019/5/1 
山2あ0777号
 
■導入:昭和33年(1958年)、中古(昭和27年式、元・石見交通)
■型式:三菱B25
■車体:梁瀬
■形状:フロントエンジン、中折扉
■用途:路線
■配席:ロング
■構成:777(S33.12〜S41.6)
    (計1台)
  
 本車は、山口市営では最後のボンネットバス導入事例となった車で、当時は未だ
多くが現役で活躍していた、B25型の増強用として選択されたものと思われます。
 
 購入後は、上記771号車と同様に企業局(交通局)内で座席の張り替えを実施
されたようですので、この際にロングシートに転換された可能性も考えられます。
 
 記録等もなく不明な点が多いものの、ボンネット車が急速に淘汰されていく時期を
迎えた末期の半年間は、ほぼ稼働することなく車庫の片隅に放置された状態だった
いわれています。
山2あ0815号型
 
■導入:昭和34年(1959年)、中古(昭和31年式、元・山陽急行)
■型式:いすゞBA351C(815,858)、BA341C(915)
■車体:西工
■形状:リヤエンジン、中折扉
■用途:路線
■配席:ロマンス
■構成:815(S34.4〜S42.3)
    858(S34.4〜S41.5)
    915(S34.7〜S41.10)
    (計3台)
  
 この3台は同時期に導入されており、型式・仕様が異なりますが、同目的の類似車で
あるため、便宜上、「あ815号型」として一括しておきます。 
 
 上記の771号車に続き、出力増強型であるBA341(前扉型)とBA351型(中扉型)
同時に中古で導入されています(共に120馬力)。
 
 うち351型の2台は製造番号も近い(6番違い)ため、もとから僚車だったと思われ
ます。
 さらに下記「あ238号型」でも、351型は2台が山陽急行から購入されています。
 
 このように見ていると、新車を僅か数年で大量に放出し続ける山陽急行の経営状態、
或いは経営方針については、非常に気になってしまいます。
 
 915号車は、購入時に771号車と同様、前扉を中扉に改造(西工で施工)。
 
 815号車は廃車後山口市役所に移管され、土木部門が公共工事(雇用対策)
の作業員輸送に用いていたようです。
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山2あ0771号
 
■導入:昭和33年(1958年)、中古(昭和30年(1955年)式)
■型式:いすゞBA141A
■車体:川航
■形状:リヤエンジン、中折扉
■用途:路線
■配席:ロマンス
■構成:771(S33.12〜S42.11)
    (計1台)
  
 中古車として導入された本車は、山口市営では唯一の形式で、いすゞBA系でも
最初期となる141型(前扉対応型)ですが、購入時にはその前扉を埋め、中扉に
改造されてから納車されたもののようです。
 
 当時の路線の運用では、中扉の方が乗客を奥まで詰め込めるというメリットが
あったようで、積み残しが常態化していた当時としては、自然な判断といえました。
 
 その改造は、本車の場合、後に同じように中扉に改造される「い358号車
とは異なり、大手である西工車体で行われたようで、腐食などの不具合は特に発生
しなかったようです。
 
 なお、本車はエンジンを本来のDA110型(105馬力)からDA120型(120馬力)に製造
当初から換装されていたほか、車体後部の裾に泥が積もりやすかったため、整備中に
前輪を外すと車体前方が浮き上がり、後部が着底するという、前後重量配分に難の
ある個体だったといわれています。
 
 乗用車に例えますと、漸く初代「クラウン」が誕生した頃のお話です。
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山2あ0238号型
 
■導入:昭和34年(1959年)〜昭和35年(1960年)、
     中古(昭和31年式(238)、昭和32年式(453)、元・山陽急行)
■型式:いすゞBA351C
■車体:西工
■形状:リヤエンジン、中折扉
■用途:路線
■配席:ロマンス
■構成:238(S34.11〜S41.10)
    453(S35.12〜S43.11)
    (計2台)
  
 この2台はほぼ同時期に導入されており、仕様は僅かに異なると思われますが、
同目的の同型車であるため、便宜上、「山2あ238号型」として一括しておきます。
 
 本車型は、昭和34年と35年に山口市営に導入されていますが、上記の907号型
より後に導入されているにも拘らず、登録番号が若いことから、恐らく山陽急行時代の
番号をそのまま継承しているものと思われます。
 
 購入後も、車体塗装の変更と座席カバーの交換程度で運用に就かせているようです
ので、この時期は、市内循環線の開始と秋穂線の増強を控え、登録替えや仕様変更
よりも「即戦力」として戦列に加えることを優先していたのかも知れません。
 
 車体は、型式の末尾「C」が示す通り、西工車体の車でした。
  (※A:川航、B:帝国、C:西工、D:富士といわれています)
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山2あ0907号型
 
■導入:昭和34年(1959年)、新製
■型式:いすゞBC20
■車体:川航
■形状:リヤエンジン、中折扉
■用途:路線
■配席:ロマンス
■構成:907(S34.8〜S42.1)
    908(S34.8〜S42.5)
    910(S34.8〜S41.10)
    911(S34.8〜S42.6)
    (計4台)
  
 本型は、勾配の連続する秋吉線の路線増強を目的とした「高地対応車」で、搭載
されたDH100型エンジンは、それまでの山口市営で最強の170馬力を誇りました。
 大きな車体と相まって、小郡駅で多くの乗客を詰め込み、優等便等を務めたことと
思われます。
 
 ところが運転操作は難しかったようで、専属の担当者以外は運転することが出来ず、
また、高出力のためかトランスミッションにはトラブルが多発し、修理を頻繁に要する
車であったようです。
 
 昭和41年の末、907号車は大歳和田において左前部を大破する交通事故に遭って
いるようですが、そのまま修理することなく廃車、解体。
 そのほかの車も全て10年以内に除籍されるなど、不遇の車型でした。
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■山2あ0771号(文献引用)
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山2あ0870号
 
■導入:昭和34年(1959年)、新製
■型式:トヨタDR10
■車体:新三菱
■形状:リヤエンジン、中折扉
■用途:路線
■配席:ロング
■構成:870(S34.5〜S42.12)
     (計1台)
  
 本由良線の増強用として、また、老朽化した20074号車の置き換え用として、
およそ9年ぶりに採用されたトヨタ車は、前年に登場したばかりのDR型となりました。
 
 本車は、山口県内初の路線用DR型だったと言われ、最新の車を多く採用してきた
山口市営らしい選択だったといえるでしょう。 
 
 最終的には8台が導入されたDR10型ですが、運転感覚としてはアンダーパワー気味
(公称130馬力)だったようで、常にアクセルペダルを床まで踏みつける操作を強い
られたため、運転手の疲労は大きく、次第に敬遠されるようになったといわれて
います。
 
山2あ0871号
 
■導入:昭和34年(1959年)、新製
■型式:三菱WAR470
■車体:西工
■形状:リヤエンジン、前折扉
■用途:路線
■配席:ロマンス
■構成:871(S34.6〜S45.6)
     (計1台)
  
 本車は、山口市営で初のエアサスペンションを採用した車で、初めての本格的な
競合対策車だったのではないかと考えられる1台です。
 
 即ち、この前年に開通した「関門急行線」において、関門急行バス、国鉄バス、
宇部市営バスが次々と充実装備の新型車を採用し、湯田温泉にその姿を披露し始めた
なかで、従来からの「ドル箱路線」である、山口・小郡間の旅客確保は、経営上の
至上命題となってきました。
 
 これまで最新型車を積極的に導入してきた山口市営ですが、意外なことに、1台の
車の装備を充実させることに対しては慎重だったようで、エアサス、冷房など最新の
快適装備は、他社に遅れをとるようになっていました。
 (※この傾向は昭和60年代初頭まで続きます)
 
 WAR470型は、当時の国鉄の車と同等の寸法と型式で、詳細不明なのが残念ですが、
山口市営にとっては、未だバス全盛期にあって、漠然とした経営環境の不安を
感じるようになった時期の象徴的な車だったと推測されます
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■山2あ0907号型(文献引用)
     ※左の車
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