2000年の夏。
大学生になっていた私は、これまでさほど意識していなかった「インターネット」を始め、検索エンジンというもので遊ぶようになっていました。
ある時そこに何となく「山口市営」と打ち込んで検索をかけてみると、「山口市営アパート」とか「山口市営○○バス停」などが出てくる中で、
「山口市営からの移籍車」というフレーズが出てきます。
山口市営が自分の車を他社に中古に出していた、などということは考えもしなかったので、これにはとても驚きました。
早速詳細を見てみれば、それは鹿児島のバス全般を扱う個人サイト様の一ページで、そこに写っていた車両はいすゞのCCM410。
登録番号は「鹿児島22く」の「368」、「369」、「370」で、鹿児島県の離島:奄美大島の「奄美交通」という会社に、
旧山口市営の3台が移籍をしていたのでした。
そう、その6年前、移動する様子を不審に思った私が交通局から小郡周辺まで追いかけた、まさにその車で、6年の時を経てその生存が
確認されたのです。
「いつかは奄美に行こう」と思っていましたが、学生身分で「金欠」の為、なかなか実行することは出来ませんでした。
そしてそれから4年後の2004年8月。
たまたま立ち読みしていたバス雑誌の記事に、「奄美交通が今年9月末で営業を終了する」と書いてあるではありませんか。
これは至急行かなければならない、ということで即座に計画を立て、相変わらず金欠のため一番安い方法を選択し、殆どドタバタ状態で
遙かな島への取材を敢行したのでした。
福岡BCから鹿児島中央駅を結ぶ A'LINE社の乗船チケット。 往路の船、A'LINE社の 鹿児島新港から見る
西鉄高速バス。 学割が使えたのは幸い。
フェリー「あかつき」号。 名峰「桜島」。
車内放映のビデオは、福岡が生んだ 2等座敷は初めてで、 客室設備はやや古い。 当日は雨のため視界悪し。
女優:田中麗奈主演の映画。
かなり息苦しい思いをした。
しかしこの頃には急に雨が降り出します。
結局もうしばらく待機をした午前10時半頃になってから、名瀬市の中心部にある「バスセンター」へと向かいました。
「奄美バスセンター」は事前に地図で確認しており、その横には奄美交通の本社があります。
最初はこの本社=車庫の所在だと考え、ここに行けば全てが解決するだろうと思っていましたが、これは間違いでした。
「バスセンター」も広島や福岡の「バスセンター」を見てきたばかりの私にとって、ここは名前こそ同じものの、舗装された
空き地の隅に小屋がある程度の、全く異質の物でした。
仕方ないので奄美交通本社(プレハブ?)と思われる建物から出てきた方に、車庫についてお伺いしたところ、
奄美交通には名瀬市の4箇所に「小浜」、「平松」、「小湊」、「古仁屋」などの車庫があるということ(※1)。
そのうち一番大きいのは「平松」で、ほぼ同規模なのが「小浜」と教わりました。
「小浜」はこのバスセンターから比較的近い、とも言われましたので、取り敢えずそこから歩いて取材することとしました。
ところが地図でだいたいの位置を確認すれば歩いていけそうな距離でしたが、いくら歩いても到着しません。
途中でレンタカーの店舗の前を通ったので、ここは後のことを考えて車を借りることにしました。
結果的にこの判断は正解だったと思います。
「小浜」車庫は車で探してもなかなか見つからず、歩いていたら絶対に見つからないところでした。
しかしやっと見つけた車庫で職員(休憩中の運転士さん)に368〜70のことをお伺いすると、「ここ(小浜)の所属ではないから、
ここには来ないよ」と言われてしまいます(※2)。
それでは何処に居るのか、とお尋ねすると、「小湊」の所属だから「平松」か「小湊」、「古仁屋」の方ということでした(※2)。
早速「平松」を地図で確認すると、実に遠い・・・。
車を借りて本当に良かったです(笑)。
それから平松まで車で20分くらい。
トンネルを二つ越え、そろそろ不安になる頃、開けた土地の一角にバスたちが群れていました。
それが奄美交通「平松車庫」。
その端に、「鹿児島22く・368号」の姿はありました。
(※1)小湊、古仁屋は転回場でした。
(※2)368は平松、ほかは当初より小浜の所属だと思われます。
「トヨタレンタカー」で借りた軽自動車「ミラ」。
ダイハツ車なのでトヨタレンタカーでも別に
不思議は無かったですが、当時の奄美では
この型式の「ミラ」が、やたら多かったです。
OD無しの3速ATで、スピードも出ず騒音
ばかりで巡航はひと苦労。
上写真:外観の錆、腐食は
全体に及んでいる。
下写真:車内は特に劣化を
感じさせない。
運賃表示機は奄美
交通のもの。
当時の奄美交通の
特徴で、右最前列の
シートは物置として
クッションが外され、その
クッションは、後窓の下
に置いてある。
この風習は2008年には
無くなった模様。
左写真:平松車庫にて運命のときを待つ368号は、元山口市営の
う1639号。
外観は錆、腐食が激しく痛々しい。
上写真:368号運転席。
車内に入るには、既にドアエンジンの空気が失われており、
再充填しなければならなかった。
運転席の座席、右コンソールに追加されたボタン、壊れて
交換されたであろう方向幕操作盤、撤去されたバックアイ
以外は、ほぼ山口時代のまま。
広島から高速バスで福岡駅まで行き、そこからさらに高速バスで鹿児島中央(旧西鹿児島)駅まで行きます。
朝7時半に出て、鹿児島には16時位に到着という強行軍です。
特に福岡から鹿児島まで行った車両は、シートが通常状態で必要以上にリクライニングしており、逆にリラックス出来ませんでした。
港まではバスが出ていないのでタクシーで行き、待合室でチケットを購入。
予約はせずとも現地で購入出来ましたが、当初想定していた「座席」ではなく、「座敷」(実質3等船室)になってしまいました。
この「座敷」に与えられたスペースは一人当たり肩幅ほどの狭い布団と、硬い角材のような枕のみ。
出航から12時間ものあいだ、両隣の人を気にしつつ、非常に息苦しい思いをしました。
奄美に着いたの朝4時半。
当然まだ外は暗かったので、港の近くにある24時間営業のファミリーレストランで朝食を摂り、バスが走る時間まで待機をすることにします。
それからしばらく食事の後に仮眠していると、いつのまにか時刻は9時頃になっていました。
寝すぎたかなと思い、ふと窓の外に目を遣れば黒煙を吐いて通り過ぎるCCMの姿が。
そのナンバープレートは「369」。
これを見た途端に元気が出てきましたが、さらに対向車線から今度は370号が!
こうして、早くも悲願の対面自体は達成されたのでした。
ここでは、その3台について2004年に取材したときの様子を旅行記調でご紹介します。
奄美交通の塗装が剥がれた後部乗車口下。 運賃箱は当時のまま。しかし金庫に 8トラックの車内放送装置。
市営バスの「赤」?がのぞいている。 書いてあったであろう車番は判読不能。 下のラジオも市営時代の装備。