当日は生憎の天気でしたが、晴れの日には 奄美名物の「鶏飯」。下調べで存在を知り、 奄美にはこのテの車両が少数ながら
「綺麗な海なんだろうな」ということは十分に
堂々と注文したのですが、出てきてびっくり。 生き残っていました。奄美交通では現役。
分かる色をしていました。
「お茶漬け」のように食べるとは知らず・・・。 写真は岩崎バス。これは休車?
大金久からの帰り道、再び平松車庫の前を通り過ぎたので368号に最後の挨拶。
「一日でも長く生きていて欲しい・・・。」
この時点でレンタカーを帰す期限まであと1時間くらいでしたので、急いで給油をし、
今回の取材で大活躍してくれた「ミラ」の写真を撮りました。
雨に何度も遭いましたし、目的のバスを追いかけたり車庫に行ったりしなければならなかったので、
今回のレンタカーの使用は本当に正解だったと思います。
(奄美交通を支援するという意味では、何とも言えない面はありますが)
本型式が奄美大島に居ると知ったとき、「どうしてあんな遠い所に行ったのだ」と、その運命を呪いました。
しかし山口では市営バスが消滅し、結果的に本型式は旧市営バス残存車両の中では最古のまま、現在まで生き続けることが
出来ました。
そのお陰で、こうして私は10年ぶりの再会を果たすことが出来ましたし、こうした状況は、奄美以外の他のどの地域に移籍した場合
でも起こりえなかったと思います。
そういう意味では、奄美に移籍していて本当に良かったと思いました。
温かい気候と人情に包まれた奄美。
しかし「奄美交通」を巡る状況は、相変わらず厳しいものがあります。
活動の舞台を山口から奄美に移し、過酷な環境のもとで奄美の人々の足となり続けた栄光の生涯は、もうすぐその役目と共に終わる
のかも知れません。
最後になりましたが、今回の取材に情報面でご協力頂きましたサイトの皆様、そして大変ご迷惑をかけしましたが、取材の許可を
頂きました奄美交通様に、この場を借りて厚く御礼を申し上げます。
(※本車は2009年に廃車、解体済)
車内写真:ほかの2車と変わりは無い
と思われる。
床は緑のゴムが貼ってある
(オリジナル)。
下写真:370号のシート裏。
本型式は一人用座席を一台あたり6つも
装備しているので、
全て調べれば面白い結果が出たかも
しれない。
船の出航時刻まで時間をつぶします。
来た船は往路のものより新しかったのですが、2等の座席は無くて全て座敷のタイプです。
就寝スペース、及び「角材」は往路の船と同じ・・・。
やっとの思いで鹿児島に着いたのは朝9時。
それから往路と同じ行程、高速バスで福岡、そして広島へ。
家に着いたのは22時くらい。
わずか3日間の幻のような日程でしたが、色々と大変貴重な経験が出来ました。
解体される奄美交通車
恐らく368〜369と同期か車齢は浅いと思われるが、
トップドアゆえに運用が限定されたのだろうか。
鹿児島や本土からやってきた歴戦の強者も、
ここ奄美で生涯を終えてゆく。
今頃は多数の車両がこのようになっていることだろう。
※2008年4月現在、この解体業者は現存して
居ませんでした。
本特別企画は以上です。
ありがとうございました。
2008年の取材の模様は、こちらに掲載しています。