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■370号激写
 
さて奄美滞在の2日目は、前日の曇り模様とは違って朝から快晴でした。
午後に出る飛行機を予約していましたから、なんとか午前中には2台とも撮影を終えて
しまわなければいけません。 
 
先ずはホテルに比較的近い小浜車庫へ在庫を祈るような気持ちで向かいます。
 
小浜に到着しますと、果たして370号の姿はありました!
付近に居られた職員様に撮影許可をいただき、直ちに撮影に入ります。
 
前回、そして今回も満足に撮影の出来ていなかった370号を各部から撮影。
するとさきほどの職員様が現れ、「プレートも撮りたいでしょ?」と声をかけてこられ、
私が中に居るにも拘らずドアを閉めていただきました。
 
後でお話を聞けばどうやら全国から本車を見に来る方々はいらっしゃるようで、職員様方も
そうした人々への対応には慣れている様子です。
いつの間にか本車たちはすっかり有名になってしまたんですね。
 
プレートの写真は下のように撮影はしましたが、表記は「CDM」、年式は「57年9月」と
書いてあり、後で混乱しました(※)。
どうやら本車は奄美交通でこのプレートを含む部品を交換された模様です。
 
※正しい型式はCCM410、年式は57年2月。
 なおフロントバンパーも形態的にはCDMのもの(フォグランプ無)と交換されているように
見える。
 他には正面の「ISUZU」のエンブレムも撤去されたようだ。
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本車の車検期限は2008年の12月までとなっており、恐らくこれが最後になると思います。
各部は老朽化が激しく、フロントガラスの内側下部などは錆で穴が開いておりました。
これは1994年頃に廃車された市営車の、どの車よりも状態は悪いという印象です。
 
社員様の話によれば、本車と369号は客席の形状・配置が他のCCM系車より
優れているため、特に通勤、通学時間帯に威力を発揮し、比較的存命できたとのこと。
 
奄美交通解散後の処遇については「たぶん残る」とは言っておられましたが・・・。
■延泊手続き
 
さて370号を撮影していると、時間がどんどん過ぎていき空港へ行く時間が近づいてきてしまいました。
社員様の話によれば370号は本日は動かないとのことで、本車のこれ以上の撮影は望めそうにありません。
やむなく370号とはここで別れ、369号を急いで探しに出かけます。
 
しかし奄美市街を流しても、一向にその姿は見つかりません・・・。
そのうち無常にも空港へ戻る時間がきてしましました。
 
空港に戻る1時間半の車中で、私はある決断をします。
それは延泊
こんなに空が晴れているうえ、369号を補足しないで帰ることなど出来る訳ないではありませんか(笑)。
 
空港に着くと日本航空のカウンターで航空便の翌日への変更と、レンタカーの延長、ホテルの予約を済ませます。
そして再び奄美市街へと引き返したのでした。
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■369号遭遇
 
奄美市街へ戻って臨戦態勢を整えると、何という偶然か、今度は割とすぐに運行中の369号を発見してしまいました。
延泊手続きしてよかった・・・。
 
示す方向幕は「平田町」となっており、これは前回の本車の撮影を行った橋の方面だと思って先回りをします。
 
終点「平田町」バス停を過ぎて例の橋に近づく369号。
ところが何故かこの橋付近では転回しようとせず、あっさり通過してしまうではありませんか。
 
なおも様子を伺いながら追跡していくと、対向車線に見えてきた小さな袋地に進入していき、そこで漸く止まりました。
現在の転回場は、この袋地になっているようですね。
 
車内で清掃を始めた運転手様に声をかけ、私は悲願の撮影を始めたのでした。
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移籍後は初めて搭乗する本車の内部。
旧市営時代にも1度程度しか乗ったことはありませんでしたが、妙に懐かしい雰囲気です。
 
370号とは特に装備等で違いはありません。
ただ本車の場合は方向幕の操作スイッチが壊れてしまい、適当な汎用部品で操作をしている模様でした。
 
フロントウインドの下部は370号と同様に錆ついて穴が開いています。 
車体外板も腐食が激しく、運転手いわく「最近は骨の髄まで腐ってきており、整備員は徹底的に修繕を施した」とのこと。
さらに純正のリベットも既に効かなくなった部分が多いため、ビスを用いて鉄板から叩き出したものも張り付けて使用しているようです。
ここまで愛され続けたCCMが他に居るでしょうか・・・?
 
そして本車を撮影していて私が気付いた「ツボ」の一つは、車内の登録番号の表記です。
旧山口市営で使用されていた木札だけでなく、表面の紙まで流用しており、修正液で「山22う1677」を消した上で現在の登録番号を
手書きで書いています。
実に素朴で心憎い演出?です。
 
また370号とは違って、本車には経由幕の操作ハンドルが残されていましたので、無理を言ってこれを動かしていただきました。
すると動きは渋かったものの見事に当時の経由幕が復活。
久しぶりに見る「バイパス経由」や「西京橋経由」、そして廃止されていた「糸米経由」や「朝倉口経由」には、まさに感無量でした。
 
本車の車検期限は2009年の3月で、こちらも恐らくこれが最後になると思います。
しかし奄美交通が廃止される前月に車検を取得したというのは、大変な決断だったのではないでしょうか。
 
運転手様の話によれば、やはり本形式は客席に特徴があり車検を継続させたとのこと。
車体は腐食が激しいものの機関の調子は良いようです。
そしてこちらも全国からバスファンが多数撮影しに来るそうで、先月は撮影会もあったとか。
ところが経由幕を動かしてみせたのは私が初めてらしく「特別だよ」と言われてしまいました(申し訳ないことです)。
 
奄美交通解散後の処遇についても「車検満了までは残るだろう」とは言っておられましたので、当面は大丈夫でしょうか。
■残存6台の奇跡
 
369号は折り返しの運用開始時刻が迫っています。
私は一通り撮影を終えたので、経由幕を動かしていただくなど大変ご迷惑をおかけした運転手様には丁重にお礼を
申し上げ、後ろ髪をひかれる思いで現場を後にしました。
あともう1回くらいは奄美を訪問したいという思いを抱きつつ・・・。
 
さて、こうして369号も補足した時点で時刻は夕方五時を過ぎてしまい、撮影するには日照が不足する頃です。
朝から動きっぱなしでいい加減に疲れたので、早々にホテルへ引き上げることにしました。
 
 
翌朝の天候はやや曇り。
前日までに課題は全て達成していたので、この日は最後に各車庫に行ってみたり風景を撮影したりします。
 
小浜、平松の各車庫には相変わらず車が殆ど居ません。
この3日間を通じて旧市営車は370号が休日に車庫に1日居たのみで、369号は平日・休日を通して連日走り回っています。
如何に本形式の稼働率が高いかが分かりますね。
 
仕方がないので、残されたCCMたちを写真に収めます。
369号の運転手様は現在同型は4台が残存していると言われていましたが、ほかの筋の情報では、現在の島内には6台の
CCM/CDMが残存しているようです。
そのうち2台が山口市営車であるという事実は、まさに奇跡であると言えるでしょう。
 
結局飛行機の時間には余裕をもって空港には到着。
4年ぶりの暖かい奄美大島を満喫して、まだ肌寒い北陸・石川へと帰っていったのでした。
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奄美に残る6台のCCM/CDMのうち、殆どはこうしたメトロ窓にハイバックシートの
ハイグレードタイプ。
 
閑散時には良いが、ラッシュ時には向いていない模様。
■おわりに
 
最後に、奄美交通は4月末を以って営業を「道の島交通」へ譲渡する予定だったのですが、法的手続きの関係上か、
実は5月上旬になっても「奄美交通」のまま営業を続けた模様です。 
 
一方のCCM/CDM車は登場から26年が経過し、車輌の内外は相当に腐食が進んでいます。
370号の場合は車検が年内まで残っていますが、燃費の悪く維持・修繕費もかかる本形式を、マイクロバスを多数運用する
「道の島交通」社側がいつまでも残すとは思えません。
保存目的などに転換したら別ですが、その可能性は低いような気がします。 
 
全国でも営業するCCM/CDMは恐らく奄美だけとなり、風前の灯となってしまった感が否めませんが、どうか最後の最後まで
力走する姿を見せて欲しいものです。
 
本当に最後になりましたが、本車の取材にご協力くださった奄美交通の社員様、そして事前に本車の動向に関する情報を
教えて下さいましたサイト様には深く御礼を申し上げます。
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2008/8/19      2009/3/16
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●2009年3月、情報追加
「道の島交通」さんに電話で直接安否の確認をしてみたところ、2009年2月末の時点で2車とも廃車処分とし、島内の
解体業者に引き渡したそうです(リサイクルシステムでも解体確認済)。
大変残念ではありましたが、赤バスとして空前絶後の27年間走り続けた末の大往生、本当にお疲れ様でした。